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「軽井沢時代」によせて。 谷口昌良

倶会一処
「死んだならおれが日を鳴け閑古鳥」?一茶?

「郭公(閑古鳥)が鳴いていらあ」と言い残して死んだじいさんは佛になった。孫はせっせとじいさんの撮った写真を彼岸へ向けて焼いている。二人はこの世で会う事は無かった。この世とあの世。

写真は何を残したのだろうか。歴史の記録か、慈愛の遺伝子か。

孫が時超えて再び手にした写真は、偶然か必然か。

因縁という言葉がある。結局、この世もあの世も一処ってことになる。佛も我も一処ってことになる。全ては一処ってことになる。

佛に生かされていると感じた事は無いだろうか。自己の母体を誰に求めんやと。

あなたはわたしであり、わたしはあなたである、とは教えの言葉。写真は本当を写さないが、この孫はタマシイをもって養いを供える本当のー供養ーをしている訳である。いずれ我も佛になると。

佛と我の二人三脚。倶会一処なり。


※「倶会一処」阿弥陀経に出てくる言葉。諸仏他万物は同じ蓮の座に居るという意。


谷口昌良:長応院住職、空蓮房房主